京都地方裁判所 昭和55年(行ウ)2号 判決 1983年3月18日
京都市左京区北白川瓜生山町二番地の一三
原告
長谷川正海
右訴訟代理人弁護士
筋立明
同
中山福二
京都市左京区聖護院円頓美町一八番地
被告
左京税務署長 藤岡文雄
右指定代理人
高須要子
同
中野英生
同
速水彰
同
村田巧一
同
武宮匡男
同
島村茂
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対して昭和五三年一〇月七日付でなした昭和五二年分所得税の再更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は医師であるが、昭和五二年分所得税について総所得の金額を二一九万五六七八円、分離短期譲渡所得の金額を租税特別措置法(昭和五三年法律第二号による改正前のもの。以下「措置法」という。)三五条一項所定の居住用財産の譲渡に該当するとして〇円、還付を受くべき税額を二九九二円として確定申告をした。
2 しかし、被告は、同条項の適用を否認し、昭和五三年九月二〇日付で総所得の金額を二一九万五六七八円(申告額どおり)分離短期譲渡所得の金額を二九九八万三九三〇円、納付すべき税額を一四〇五万三四〇〇円とする更正処分及び過少申告加算税七〇万二八〇〇円の賦課決定処分をした。
さらに、被告は、同年一〇月七日付で総所得の金額を二一九万五六七八円(申告額どおり)、分離短期譲渡所得(以下「本件譲渡所得」という。)の金額を二九九八万三九三〇円、納付すべき税額を一四二〇万二五〇〇円とする再更正処分及び過少申告加算税七一万〇二〇〇円の賦課決定処分(以下、一括して「本件処分」という。)をした。
3 原告は、右同年九月二〇日付の各処分を不服として同年一〇月六日被告に対し異議申立をしたが、被告は同年一二月九日付でこれを棄却したため、さらに同年一二月一八日訴外国税不服審判所長に対し審査請求したところ、同所長は昭和五四年一〇月二五日付でこれを棄却する旨の裁決をした。
4 しかしながら、本件譲渡所得は、原告が居住の用に供していた資産の譲渡によるものであるから、右譲渡所得について措置法三五条一項の適用を否認してなされた本件処分は、その点において違法であり取消されるべきである。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の事実は認める。
2 同4の主張は争う。
三 被告の主張
1 本件譲渡所得は、原告が昭和四八年六月三〇日別紙物件目録ト記載の土地(以下「ト土地」という。)を訴外徳山締直から交換により取得し、さらに昭和五二年九月二〇日ト土地上に同目録チ記載の家屋(以下「チ家屋」という。)を新築し、同年一二月二日ト土地及びチ家屋を訴外藤井修二に金五五〇〇万円で売却したことによるものであって、その金額の算出根拠は次のとおりである。
(一) 譲渡価額 五五〇〇万円
(二) 取得価額 二三八九万四八七〇円
(三) 譲渡費用 一一二万一二〇〇円
(四) 譲渡益 二九九八万三九三〇円
(五) 譲渡所得の特別控除 〇円
(六) 譲渡所得の金額 二九九八万三九三〇円
2 原告のなした確定申告のうち、本件譲渡所得の金額に関しては、以下に述べる理由により措置法三五条一項の適用は受けられないので、被告は右規定の適用を否認して原告主張のとおりの本件処分をしたものであって、本件処分は適法である。
(一) 措置法三五条一項は、個人がその居住の用に供している家屋で政令で定めるもの及び当該家屋とともにその敷地の用に供されている土地に関する権利(以下「居住用財産」という。)の譲渡所得の特別控除として、「個人が、その居住の用に供している家屋で政令で定めるものの譲渡をし」た場合には、その特別控除ができる旨規定し、これを受けた同法施行令二三条一項は、「個人がその居住の用に供している家屋とし、その者がその居住の用に供している家屋を二以上有する場合には、これらの家屋のうち、その者が主としてその居住の用に供していると認められる一の家屋に限るものとする。」と規定している。
(二) ところで、措置法三五条一項の趣旨は、居住用財産を譲渡した場合、通常新たに居住用代替財産の取得がなされることと、通常の居住用財産であれば、特別控除額の範囲内で取得できるであろうとの配慮から、その譲渡所得について従前とられていた課税の繰り延べ(昭和四四年法律第一五号による改正前の措置法三五条所定の居住用財産取得のための買換の特例)に代えて、特別控除という免税制度を設けることにより、居住用代替財産の取得を容易にしたものである。
また、同条項が特別控除について連年の適用を認めず、三年間に一度の適用を認めたにとどまるのは、居住用代替財産取得の場合、これを三年程度の短期間に譲渡することは通常考えられないことと、連年適用を認めると、数戸の家屋の所有者が一年毎に居住家屋をかえることによって特別控除制度を濫用し譲渡益の脱漏をはかる等の弊害を生ずるのを防止するために設けられた制限であると解される。
このような特別控除、連年適用制限の制度の趣旨から、同条項の「居住の用に供している家屋」とは、譲渡の時もしくはこれに近い時期までに、その者がある程度の期間継続的に真に居住する意思をもってこれに起居し、生活の本拠として利用している家屋をいうものと解すべきである。
(三) 従って、措置法三五条一項の規定の適用を受けるためのみの目的で入居したと認められる家屋、その居住の用に供するための家屋の新築期間中だけの仮住いである家屋その他一時的な目的で入居したと認められる家屋、あるいは主として趣味、娯楽または保養の用に供する目的で有する家屋は、「居住の用に供している家屋」には該当しない(昭和四六年八月二六日直資四ー五ほか国税庁長官通達「租税特別措置法(山林所得・譲渡所得関係)の取扱いについて」三五-一)。
(四) そして、その者が生活の本拠として利用している家屋であるかどうかは、その者及び配偶者等(社会通念に照らし、その者と同居することが通常であると認められる配偶者その他の者をいう。)の日常生活の状況、その家屋への入居目的、その家屋の構造及び設備の状況その他の事情を総合勘案して判定すべきである。この場合、転勤、転地療養等の事情のため、配偶者等と離れ単身で他に起居している場合であっても、当該事情が解消したときは当該配偶者等と起居を共にすることとなると認められるときは、当該配偶者等が居住の用に供している家屋は、その者にとっても、その「居住の用に供している家屋」に該当する(右通達三五‐一)。
(五) 原告は、ト土地及びチ家屋の譲渡時に、チ家屋のほか別紙物件目録イ及びヘ記載の各家屋(以下、それぞれ「イ家屋」「ヘ家屋」という。)を所有していたが、次に述べるところによれば、原告において真に居住する意思を有し、かつ、客観的にも生活の本拠と認められるのはヘ家屋であって、チ家屋は、原告が措置法三五条一項の適用を受けるために入居した仮住居にすぎないというべきである。
1 原告及びその家族(以下「家族」という。)は、もともと原告が昭和二五年五月一日売買により取得したイ家屋に居住し、かつ、原告はそこに産婦人科医院を開設して夜間の診療を行ない、昼間は、勤務先の病院や、昭和二七年九月から昭和三八年八月まで京都市中京区衣棚に開設した衣棚分院の方で仕事をしていた。
2 原告は、昭和三八年九月それ以前に売買により取得していた別紙物件目録ロ記載の土地(以下「ロ土地」という。)上に同目録ハ及びニ記載の各家屋(以下、それぞれ「ハ家屋」「ニ家屋」という。)を新築し、それ以来ハ家屋をイ家屋に開設した医院の分院として、そこで本格的に昼間の診療を行なうようになった。
3 原告及び家族はイ家屋で生活していたが、家族は、昭和四七年四月娘の縁談の聞き合わせなどのためにハ家屋に転出した。
4 原告は、昭和四八年六月三〇日ロ土地及びハ、ニ家屋を訴外学校法人藤川学園に売却した。右売却に伴い、ハ家屋に住んでいた家族は、新築ができるまでの間一時的に京都市左京区浄土寺下南田町五三の借家に転出した。
5 右売却後、原告はイ家屋において昼夜一本の診療を行なうようになった。また、ニ家屋で美容院を経営していた訴外神田千鶴子(以下「神田」という。)が、昭和四八年七月二五日からイ家屋の居住部分に住み込み、看護婦と原告の食事の世話や医院の手伝いなどをするようになった。
6 原告は、昭和四九年四月一日、別紙物件目録ホ記載の土地(その所有権は、昭和五一年四月三〇日売買により取得、以下「ホ土地」という。)上にヘ家屋を新築した。これに伴い、家族はヘ家屋に入居し、原告もヘ家屋に造られた自分専用の大きな書庫にいろいろな本を持ち込み執筆作業などを行なった。原告もこうしてヘ家屋に転居し、そこからイ家屋にある原告の医院へ通っていた。また、家族の住民登録はヘ家屋になされた。
7 右のとおり、ヘ家屋が新築されるまでは、原告と家族の生活の本拠はイ家屋であったが、右新築によってイ家屋は今までの居宅兼診療所から昼夜一本の診療所専用になり、原告と家族の生活の本拠は、住居専用を目的として新築されたヘ家屋に移転したのである。
8 原告が昭和五二年九月二〇日に新築し同月二七日に入居したチ家屋の建築面積は、わずか一九・四四平方メートルであってヘ家屋に比べて極めて狭あいであるばかりか、その構造は木造ルーフイング葺平家建居宅であって、容易に取りこわしができ、さらにその内部も六畳一間に洗面所及び便所があるにすぎない。また、都市ガスの設置及び利用が可能であるにもかかわらず、原告はこれを設置しないで、容易に除去しうるプロパンガスを使用していた。そして、チ家屋は新築後わずか三か月で解体された。チ家屋に住民登録がなされたのは、原告だけである。
9 原告は前記のとおり、チ家屋新築後三か月足らずの昭和五二年一二月二日ト土地及びチ家屋を売却し、まもなく家族の居住しているヘ家屋に居住し、現在に至っている。右売却までの間も、原告はチ家屋に時折寝泊りするなどチ家屋を一時的に使用したにすぎず、生活の本拠として通常の生活をしていたものではない。
10 不動産取引の実際からすれば、昭和五二年当時において時価金五五〇〇万円相当のト土地を売却するためには、不動産仲介業者を介したとしても、売却することを決意した時から通常数か月間を要するであろうから、概ねチ家屋を新築した頃には、原告はト土地を売却することを決意していたと解される。そうすると、原告はト土地を売却するにつき、措置法三五条一項の特別控除の適用を受けるべく前記のような仮設のチ家屋を建築し、時折そこに寝泊りし一時的に住民登録をするなど、チ家屋が同条項の「居住の用に供している家屋」であるかのような外形を故意に作りあげたにすぎないというべきである。
11 原告が措置法三五条一項の適用を受けるためチ家屋に入居したものであることは、原告には、合理的なチ家屋への入居目的及びその売却理由が見当らないこと並びに昭和四八年のロ土地及びハ、ニ家屋の売却による譲渡所得についても、当時の原告の生活の本拠はイ家屋であり、ハ、ニ家屋には仕事上寝泊りすることがあっただけであるにもかかわらず、偽りの居住証明書を作成して左京税務署長に提出し、同条項の適用を受けていたことからも明らかである。
(六) 従って、チ家屋は、措置法三五条一項の適用を受ける「居住の用に供している家屋」に該当しない。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1の事実のうち、(五)、(六)は否認し、その余の事実は認める。
2 同2冒頭の主張は争う。
(一)ないし(三)の主張は争う。
(四)の主張のうち、前段は認めるが、後段は争う。
(五)冒頭の事実のうち、原告がト土地及びチ家屋の譲渡時に、イ、ヘ家屋を所有していたことは認めるが、その余の事実は否認する。1の事実は認める。但し、イ家屋を購入し、妻と同居してそこに産婦人科医院を開設したのは、昭和二一年頃である。2の事実は認める。3の事実のうち、娘の縁談の聞き合わせなどのためとの点は否認し、その余の事実は認める。4、5の事実は認める。6の事実のうち、原告がヘ家屋に転居し、そこからイ家屋の医院に通っていたことは否認し、その余の事実は認める。7の事実のうち、ヘ家屋の新築によって家族の生活の本拠がヘ家屋に移転したことは認めるが、その余の事実は争う。8の事実のうち、チ家屋がヘ家屋に比べて極めて狭あいであること、取りこわしが容易であることは争い、その余の事実は認める。但し、洗面所ではなく炊事場であり、玄関もあった。9の事実のうち、前段は認めるが、後段は否認する。10の事実は否認する。11の事実のうち、原告がロ土地及びハ、ニ家屋の売却による譲渡所得につき、措置法三五条一項の適用を受けたことは認め、その余の事実は否認する。
(六)の主張は争う。
五 原告の主張
1 措置法三五条一項の「居住の用に供している家屋」の解釈として、配偶者等と離れて単身起居している場合で家庭不和などにより当該配偶者等と起居を共にしえない事情があるときは、現実に起居する家屋が「居住の用に供している家屋」となるのであって、その構造がたとえ簡易住宅であり小規模のものであっても、右結論を左右しないというべきである。
2 原告が、ト土地及びチ家屋を譲渡した当時において、主たる住宅とし生活の本拠としていた家屋は、以下のとおりチ家屋であるというべきである。
(一) 原告が昭和四八年六月三〇日ロ土地及びハ、ニ家屋を売却するまでの事情
原告は、昭和二五年以来家族と共にイ家屋に居住し、同所に診療所を開設していたが、昭和三八年からハ家屋に分院を開設した。しかし、妻日出子とは原告の女性問題のため折合いが悪くなり、昭和四七年四月から妻日出子は二人の子供を連れてイ家屋を出て、ハ家屋の病室を利用して別居を始めた。原告はイ家屋に引続き住居として住み、そこでは夜間外来の患者のみの診療をしていたが、ハ家屋は病院として二〇床程度の入院患者を抱える規模のものであり、昼夜の診療を必要としたため、一か月のうち三分の二近くは入院患者の診療のためハ家屋の病室やニ家屋の二階の部屋に夜間宿泊を余儀なくされていた。
このように、当時原告はイ家屋を生活の本拠としつつも、ハ、ニ家屋にも一か月のうちむしろ日数多く宿泊していたため、二か所住居を有している実態にあった(従って、昭和四八年分所得税の申告にあたっても、何らの不正はなかったのである。)
(二) 原告がヘ家屋を新築した前後の事情
1 原告の妻日出子は、前記のとおり二人の子供とともに昭和四七年四月からハ家屋の病室を利用して別居を始め、以来、離婚に発展する可能性の高い、復元の見込み薄い関係として永続的な別居を続けてきた。そして、ロ土地及びハ、ニ家屋が売却されることになって、京都市左京区浄土寺下南田町五三の借家に転居し、昭和四九年四月ヘ家屋の新築とともに同家屋へ転居し、今日に至っている。妻日出子の住民登録は、昭和四九年四月にハ家屋からヘ家屋に移されている。
2 原告は、右別居が始まってからもイ家屋で診療と主たる居住を続け、前記のとおりハ、ニ家屋に診療のため寝泊りすることは多くあったが、妻日出子ら家族と起居や食事を共にすることはなかった。そして、ロ土地及びハ、ニ家屋の売却後は、原告は診療をイ家屋に集中し、居住もそこに一元化して、以後チ家屋に入居するまで、新築したヘ家屋に移転することもなくイ家屋と生活の本拠として、これを居住し、その間、家族と同居したことはなかった。もっとも、ヘ家屋の一階には、原告の趣味である庭園の歴史に関する資料等を収納する書庫を造ったので、原告が研究のため夜間等に右書庫を訪ね研究に没頭してまれには一夜を明かすこともあったが、食事など一切せず、右書庫以外の部屋には出入りせず、家族と同居したといえる事実は全くない。原告の住民登録は、チ家屋へ転出するまで一貫してイ家屋にあった。
(三) チ家屋を新築し、ここを生活の本拠とした事情
1 原告は昭和四八年ト土地を交換により取得し、昭和五二年九月同土地上にチ家屋を新築し、単身そこへ転居した。住民登録もイ家屋からチ家屋へと移した。これは、原告が大学医学部に在学している長男に将来医者として後を継がせたいと考え、イ家屋が将来性、発展性を欠くのに対し、ト土地は場所、環境も良く敷地面積も適当であることから、今から原告が移住し住居を定めて生活すれば地縁、地盤ができ、将来ここで長男が開業してやっていけるであろうとの見通しをたてたためである。
2 チ家屋は、基礎工事もした木造ルーフイング葺の本格的建築物で、炊事場、玄関、便所も完備した恒久使用に耐えうる立派なものであり、保存登記も行なっている。原告が一人居住する建物としては必要にして十分であって、これ以上の大きさを必要としなかった。
3 原告は、イ家屋で昼夜診療をし食事もそこで取っていたが、仕事を終えて一人休息し、睡眠し、完全に自分の時間を取り戻す安住の場所、すなわち生活の本拠はチ家屋であった。ところで、原告のように本業に多忙で、趣味も本格的で、仕事をする場所も複数有する者の主たる生活の本拠はどこかを考えるにあたっては、そこにいる時間の長短、電気、水道の消費量、建物の規模、家族との同居の有無等外形的、現象的なことのみで判断するのは誤りであり、その人が真に自らの生活のよりどころとして安住の場所としていた場所を、その人の職業その他の置かれた条件を勘案のうえ、確定すべきである。
(四) チ家屋を売却した事情
原告は、チ家屋に入居してから直ちに建築専門家に調査検討させて病院となりうる建物を建築し、近い将来長男を迎える構想であったが、居住開始後一か月程して、建築専門家に調査を命じたところ、ト土地は意外にも用途制限などの規制が厳しく、思うような規模の病院を建てられないことが判明した。そこで、原告はト土地をあきらめ、他に適当な物件を求めるべくト土地及びチ家屋を不動産業者を介して売りに出したところ、意外にも直ちに買手が現れたため、昭和五二年一二月二日訴外藤井修二に対してこれを金五五〇〇万円で売却したものである。
六 原告の主張に対する認否
原告の主張事実は争う。原告が家族と別居したことはあるが、それは、娘の縁談の聞き合わせがあったためや住居新築中のためのもので、一時的な別居にすぎない。
第三 証拠
一 原告
1 甲第一号証の一、二、第二ないし第一八号証、検甲第一ないし第四号証(川島彦治が昭和五二年一〇月頃ト土地及びチ家屋を撮影した写真である。)
2 証人神田千鶴子、同長谷川日出子、同川島彦治、原告本人
3 乙第一五、第一六号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立はすべて認める。
二 被告
1 乙第一ないし第六号証、第七号証の一、二、第八ないし第一〇号証、第一一号証の一、二、第一二、第一三号証の各一ないし三、第一四号証の一、二、第一五、第一六号証
2 証人寺田祐二
3 甲第二号証、第五ないし第八号証、第一七、第一八号証の成立は不知、第一号証の一、二は原本の存在、成立ともに認める。その余の甲号各証の成立はすべて認める。検甲第一ないし第四号証がト土地及びチ家屋の写真であることは認め、撮影者、撮影年月日は不知
理由
一 請求原因1ないし3の事実、被告の主張1の事実のうち、譲渡所得の特別控除と譲渡所得の金額を除くその余の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、本件訴訟における争点は、ト土地及びチ家屋の譲渡について措置法三五条一項の適用があるか否かにつきることとなるので、以下この点について検討する。
1 措置法三五条一項は、居住用財産を譲渡した場合の譲渡所得の計算にあたり一定額の特別控除を認めたものであるが、これは、居住用財産を譲渡した場合にはこれに代替する居住用財産を取得する蓋然性が高いことと、通常の居住用財産であれば特別控除額の範囲内で取得できるであろうとの配慮から、所得税の負担を軽減することとしてその取得を容易にする趣旨によるものと解される。そして、同条項が特別控除について連年の適用を認めず、三年間に一度の適用を認めたにとどまるのは、代替する居住用財産を取得した場合これを三年程度の短期間に譲渡することは通常考えられないことと,連年適用を認めると特別控除制度を濫用し、譲渡益の脱漏をはかるなどの弊害を生ずるのを防止するための制限であり、また、同法施行令二三条一項が、「その者がその居住の用に供している家屋を二以上有する場合には、これらの家屋のうち、その者が主としてその居住の用に供していると認められる一の家屋に限るものとする。」と規定し、その適用範囲を限定しているのは、右制度の趣旨からみて、かかる特別控除の適用は、その主たる居住用財産の譲渡についてのみこれを認めれば足りるものとして、その濫用についてはこれを制限する趣旨であると解される。このような右特別控除制度に関する規定のあり方及びその趣旨に照らすと、同条項にいう「居住の用に供している家屋」とは、真に居住の意思をもって客観的にもある程度の期間継続して生活の本拠としていた家屋をいうと解するのが相当であり、措置法三五条一項の規定の適用を受けるため、あるいは、その居住の用に供する家屋の新築期間中の仮住いのため等、一時的な目的で短期間臨時に居住する家屋や、主として趣味、娯楽または保養の用に供する目的で有する家屋は、これにあたらないものと解すべきである。また、当該家屋が客観的にも継続して生活の本拠とされていたか否かを判断するにあたっては、その者及び社会通念上その者と同居することが通常であると認められる配偶者等の日常生活の状況、前掲のような当該家屋への入居の目的、当該家屋の構造及び設備の状況等の諸事情を、前記制度の趣旨に照らして総合的に判断すべきであることは、いうまでもない。
2 そこで、チ家屋が右のような意味で「居住の用に供している家屋」といえるか否かを検討する。
(一) 原告が昭和二〇年代から家族と共に自己所有のイ家屋に居住し、そこに産婦人科医院を開設して夜間の診療を行ない、昼間は、勤務先の病院や、昭和二七年九月から昭和三八年八月まで開設していた衣棚分院で医師の仕事に従事したこと、原告は昭和三八年九月自乙所有のロ土地上にハ、ニ家屋を新築し、それ以来ハ家屋をイ家屋に開設した医院の分院として、そこで本格的に昼間の診療を行なうようになったこと、原告及び家族はイ家屋で生活していたが、家族は昭和四七年四月ハ家屋に転出したこと、原告は、昭和四八年六月三〇日ロ土地及びハ、ニ家屋を訴外学校法人藤川学園に売却し、右売却に伴いハ家屋に住んでいた家族は、新居ができるまでの間一時的に京都市左京区浄土寺下南田町五三の借家に転出したこと、右売却後、原告はイ家屋において昼夜一本の診療を行ない、また、ニ家屋で美容院を経営していた神田が、昭和四八年七月二五日からイ家屋の居住部分に住み込み、看護婦と原告の食事の世話や医院の手伝いなどをするようになったこと、原告は昭和四九年四月一日ホ土地上にヘ家屋を新築し、これに伴い家族はヘ家屋に入居し、その住民登録もヘ家屋になされたこと、ヘ家屋には原告専用の大きな書庫が造られ、原告は右書庫にいろいろな本を持ち込み執筆作業などを行なったこと、一方、原告は昭和五二年九月二〇日ト土地上にチ家屋を新築し、同月二七日これに入居し、同日原告の住民登録はチ家屋になされたこと、しかし、原告は同年一二月二日ト土地及びチ家屋を売却し、チ家屋は新築後三か月足らずで解体されるに至ったことは、いずれも当事者間に争いがない。
(二) しかして、原告は、チ家屋を新築してそこに入居するまでは一貫してイ家屋を生活の本拠とし、ヘ家屋へ転居した事実はなく、家族とは別居していたものであると主張する。
たしかに、前記争いのない事実に証人神田千鶴子、同長谷川日出子の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告と妻日出子は、昭和四七年頃原告の女性問題から不和を生じ、日出子においては一旦は原告との離婚まで考えたものの、子供の将来のためや当時話が出ていた長女の縁談の聞き合わせのためを考えて思いとどまり、同年四月二人の子供(長女成子昭和二四年生、長男正人昭和二七年生)を連れイ家屋を出て、ハ家屋の病室に引移ったものであること、他方、原告は引続いてイ家屋に居住し、そこで夜間の診療を行ない、昼間はハ家屋で診療にあたったが、ハ家屋は病室を二〇床程有する大きな規模のものであったので、入院患者の診療のため、ハ家屋に寝泊りすることがしばしばあったこと、しかしそのような場合も、原告がハ家屋で家族と寝食を共にすることはなかったこと、その後、ロ土地及びハ、ニ家屋の売却後、原告はイ家屋で昼夜を通して外来患者の診療を行ない、家族が前記借家に居住している間はもとよりヘ家屋に転居してからも、イ家屋で食事を取り主としてそこで寝起きしていたこと、チ家屋新築後は、昼間イ家屋で診療を行ない、夜間は主としてチ家屋で寝起きしていたことが認められ、これに反する証拠はない。
しかしながら、前記争いのない事実に、いずれもその成立に争いのない甲第九、第一〇号証、証人寺田祐二、同長谷川日出子の各証言、原告本人尋問の結果及びこれによりいずれも真正に成立したものと認められる甲第二号証、第一八号証並びに弁論の全趣旨とこれにより真正に成立したものと認められる乙第一六号証を総合すると、原告は前記のとおり昭和四七年四月以来家族と一応は寝食を別にする状態にあったとはいえ、家族の別居先は、初めから原告の所有であり、かつ、その職場でもあるハ家屋の病室であり、次に借家に移った際も借家の借主は原告であり、最終的に移り住んだヘ家屋も、新築した家から長女を嫁がせるという意図で原告が新築したものであったこと、この間家族の生活費は原告が全面的に負担していること、妻日出子はハ家屋に住んでいる当時、看護婦の手が足りなければ掃除、洗濯など病院の手伝いもしており、借家に移ってからもイ家屋に看護婦らの食事の世話に行くこともあったこと、ヘ家屋の一階には、八〇平方メートルの広さをもつ原告専用の書庫が造られ、そこには、原告の蔵書や庭園の研究に関する資料等が多数収納され、イ家屋での診療を終えてから、右書庫を訪れ庭園の研究やそれに関する著書の執筆を行ない、右書庫に泊まることもあったこと、そして、その間に、原告は右研究の成果をまとめあげて、昭和五二年八月一日「日本庭園要説」と題する著書を発行し、続いて、昭和五三年六月二〇日にも「日本庭園の原像」と題する大部な著書を発行していること、また、測量士である訴外内田賢二に昭和四九年及び昭和五二年新築したヘ、チ家屋の登記のための測量を依頼した際にも、測量につき必要なことの打合わせはいずれもヘ家屋において行なっていること、さらに、ト土地及びチ家屋を売却した後は、あらかじめ妻日出子と話し合うこともせずに、当然の如く、「ト土地及びチ家屋を売ったから、こちらに住む。」ということで、妻日出子及び長女夫婦とヘ家屋で同居することとなり、そのまま現在に至っていることが認められる。
以上のような事実に鑑みると、原告と家族は、夫婦間の心理的なつながりにおいてはともかく、日常生活の上では家族としての往来が保たれ、社会通念上その生活の本拠を全く別にしていたものとは速断し難いものといわざるをえず、証人神田千鶴子、同長谷川日出子の各証言及び原告本人尋問の結果中、右に反する部分はいずれもにわかに措信し難い。
(三) 他方、チ家屋の構造や利用状況等についてみると、いずれも成立に争いのない甲第三、第四号証、乙第三号証、原告本人尋問の結果及びこれによって真正に成立したものと認められる甲第七、第八号証、ト土地及びチ家屋の写真であることは当事者間に争いがなく、証人川島彦治の証言により昭和五二年一〇月初め頃同人が撮影したものと認められる検甲第一ないし第四号証によれば、チ家屋は、二四七・九三平方メートルの面積を有するト土地の東北角あたりに建てられた床面積わずか一九・四四平方メートルの木造ルーフィング葺平家建居宅で、その内部は玄関、八畳一間、半畳の押入、便所、炊事場(流しとガス台)という極めて簡素なものであったこと、そして、ベッド、整理だんす及び勉強机が置かれたので、来客があってもゆっくりすわるようなスペースすらない状態であったこと、原告は、チ家屋を夜間に限り利用し、電気、水道の消費量も極めて少なく、かつ、都市ガスの設置が可能であったにもかかわらず当初からプロパンガスを使用していたこと、昭和五二年九月二三日電気の使用が開始されて以来同年一二月二日ト土地及びチ家屋が売却されるまでの間は、わずかに七一日間にすぎないこと、加えて、原告は、右期間中もト土地の一部を従前どおり水谷某という土建業者に賃貸し、そのためト土地の門柵の鍵は、原告のほか右水谷も持っており、ト土地は土建用トラック等の置き場とされていたことを認めることができ、これらの認定を左右するに足りる証拠はない。
右のような事実に鑑みると、チ家屋が、医師という社会的にも高い地位にある原告にふさわしい生活の本拠としての客観的な実態を有していたとはいい難いものといわざるをえない。
(四) のみならず、原告がチ家屋を新築しこれを寝起きすることとなった動機等に関して、以下に述べるような本件証拠上自然な点も多々存在する。すなわち、
原告は、チ家屋に居住するに至った理由として、将来長男に医者としての後を継がせたいと考えていたところ、イ家屋は発展性を欠くので、場所、環境ともに良いト土地に今から原告が移住し住所を定めて生活すれば、地縁、地盤ができ、将来ここで長男が開業できるであろうと考えたためであると主張し、これに副う供述をするのであるが、右供述は、原告が前項認定のような簡易な建物をあらかじめ敷地の一角に建てて夜間のみ寝起きしたところで、地縁、地盤の養成にいかほど利するところがあるか、はなはだ疑問であるのみならず、成立に争いのない乙第一号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、国税不服審判所長に対する審査請求の段階においては、原告がチ家屋に寝起きするに至ったのは、それまでイ家屋で同居していた姪である神田と原告が不仲になり、その結果、原告は同女との同居に耐えられなくなり新たに生活の本拠地を必要としたことによる主張していたが、裁決書の理由中の判断においてその矛盾を指摘されたため、本訴においては前記のような主張をするに至った(そして、神田との不和については、もはや何らの立証もしょうとしていない。)ことがうかがわれることに照らしても、にわかに措信し難い。また、原告は、前述のように地縁、地盤を作るために転居したというト土地を、転居後二か月余りで売却している点については、転居後に調査した結果、ト土地には用途制限などの規制のため思うような規模の病院を建てられないことが判明したので売り出したところ、意外に早く売れたものであると供述するのであるが、不動産取引の集態からすると、昭和五二年当時において金五、五〇〇万円もの不動産を売却するためには、不動産仲介業者を介しても売却決意の時から数か月はかかるのが通常であろうと考えられること及び後述のように、転居後間もなく、措置法三五条一項の適用を意図したものと解される写真が撮影されていること等に照らして、右供述もにわかに首肯し難いものといわざるをえない。
さらに、前記検甲第一ないし第四号証、いずれも成立に争いのない乙第一一号証の一、二、第一二、第一三号証の各一ないし三及び証人川島彦治の証言(後記措信できない部分を除く。)によると、税理士であり、以前から原告と知合いであった川島彦治(以下「川島」という。)は、原告がチ家屋に入居しその使用を始めてからまもない昭和五二年一〇月初め頃、チ家屋の外観及びト土地の入口の門柵に設けられた原告名のある郵便箱と伝言板(それには、昼間用のある人は医院(イ家屋)へ電話されたい旨の記載がある。)の写真(検甲第一ないし第四号証)を撮影していること、そして川島は、本件処分の対象たる昭和五二年分所得税の申告手続を担当し、ト土地及びチ家屋の譲渡について措置法三五条一項の適用を求めていること、さらに同人は、後述の原告の昭和四八年度分の所得税の申告手続にも関与し、その時にも措置法三五条一項等の適用申請の添付書類を作成していることを認めることができる。
しかるに、川島は、原告からト土地の売却についての税務相談を受けたのは、売買契約後代金受領までの間である旨、前記写真については、自分は写真が好きであるので、特別の目的もなしに撮影したものである旨繰返し証言し、かつ、当初、昭和四八年度分の税務申告への関与は全くないと証言しながら、後に、自己の筆跡になる右申告書添付書類(乙第一三号証の二)を示されて証言を訂正しているのであるが、これらの証言部分は、同人の証言全体が終始一貫性に欠けるばかりか、ことさら郵便箱や伝言板を撮影していることからしても到底措信し難く、同人がチ家屋につき措置法三五条一項の適用を意図してこれらの写真を撮影したことは明らかであるのみならず、かえって、同人が右のような証言にこだわるのは、同人が、本件譲渡所得に対する右措置法の適用の問題について、その当初から深く関与してきたことを秘匿せんとの潜在意識に出でるものではないかとの疑いを深めるものである。
(五) また、原告は、従来税法の問題について興味がなかったことを強調し、措置法三五条一項の特別控除の規定は、本件処分があるまで知らなかったとも供述する。しかしながら、前記甲第一八号証、乙第一三号証の一ないし三、証人川島彦治の証言及び原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)を総合すると、原告は、昭和四八年分所得税の確定申告に際し、ロ土地及びハ、ニ家屋の売却による譲渡所得につき、措置法三五条一項及び同法三七条(事業用資産の買換えの特例)の適用を求め、その結果いずれもその適用を受けていること、しかし、右売却当時、ハ家屋は病院として、ニ家屋は一階が神田の美容院の店舗、二階が同人の居宅としてそれぞれ利用されていたものであって、原告がハ家屋の入院患者の診療のためハ、ニ家屋に寝泊りすることがしばしばあったとはいえ、それはあくまで仕事上のことであり、ハ、ニ家屋に居住していたものではなかったにもかかわらず、原告は、ハ、ニ家屋に昭和三八年九月から昭和四八年七月まで居住している旨の町内会長作成の居住証明書(乙第一三号証の三)をえてこれを提出し、同法三五条一項の適用を受けたものであること、同法三七条の適用の点についても、原告は、京都府医師会に対する関係での既得権を確保するという意図のせとに、ヘ家屋の一階の書庫を名目上健康相談室とする企画をたてたにすぎず、しかもその後右企画すら実施されず、ヘ家屋は、当初からもっぱら居住用家屋として建築され、かつ、使用されているのに、ヘ家屋の一階九六平方メートル余を診療所として申請して、同条の適用を受けたものであること、そして、これらの申告手続も、当時から原告の知人であり、当時は税務職員であった前記川島が行なったものであったことが認められる。これらの事実に照らせば、原告の前記供述はにわかに措信し難い。もっとも、その頃、税務関係のことは他人まかせで、原告自身はその意味を全く理解しえなかったとも供述するが、この供述もいかにも不自然であって、にわかに措信し難いものといわざるをえない。
(六) そこで、以上のような諸事実を総合して考えると、昭和五二年九月ないし一二月当時、原告の生活の本拠は、家族の居住していたヘ家屋、もしくは、従前寝起きし当時診療活動のなされていたイ家屋にあったものというべきであり、チ家屋は、ト土地を売却するについて、措置法三五条一項の適用を受ける目的で新築され、ト土地及びチ家屋売却までの短い間、単に夜間寝起きの場としてあるいは書斎として、一時的に使用されたものにすぎず,真に居住する意思を欠くものであり、冒頭に述べたような措置法三五条一項にいう「居住の用に供している家屋」には、到底該当しないものといわざるをえず、他に、この点を証するに足りる証拠は存在しない。
そうすると、本件譲渡所得について措置法三五条一項の適用はないものというべく、被告が本件譲渡所得の計算にあたり、同条項の適用を否認してした本件処分は、適法である。
三 よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田坂友男 裁判官 小田耕治 裁判官 西田真基)
物件目録
イ 京都市左京区北白川久保田町二五番地
家屋番号 一九七番
木造瓦葺平家建居宅
床面積 四六・一一平方メートル
ロ 京都市左京区北白川瓜生山二番一一六
宅地 一九九四・九九平方メートル
ハ 同所同番地
家屋番号 二番一一六の一
木造瓦葺二階建病院兼共同住宅
床面積 一階四四八・一五平方メートル
二階一八三・〇〇平方メートル
ニ 同所同番地
家屋番号 二番一一六の二
木造瓦葺二階建店舗兼居宅
床面積 一階 五七・九七平方メートル
二階 六七・〇六平方メートル
ホ 京都市左京区北白川宇瓜生山二番一三
山林 三九〇平方メートル
ヘ 同所同番地
家屋番号 二番一三
木・鉄骨造アスファルト板葺二階建診療所居宅
床面積 一階一三四・四六平方メートル
二階八一・九八平方メートル
ト 京都市左京区北白川東瀬ノ内町三五番
宅地 二四七・九三平方メートル
チ 同所同番地
家屋番号 三五番
木造ルーフイング葺平家建居宅
床面積 一九・四四平方メートル